
ブログを始めてみたけど、何を書けば皆から読まれるだろうか。
と夜な夜な試行錯誤している人が僕以外にもたくさんいるのではないか。
僕は、仕事の時間以外はああでもないこうでもないと自分のブログ運営のことばかり考えている。
今回記事にしている本「読みたいことを、書けばいい。」はそんな僕にとって救世主のような本だった。
救世主とは言っても、何かこうすればビュー数伸びるよとかこう書いたら人気者になれるよという小手先のテクニックではない。
この本は、「書くことに対する気持ちを楽にしてくれた本」だ。
余談だが、午前中に買ってその日のうちに読み終わった。
これは、僕史上、稀に見る偉業である。
文字数が少なめであるとはいえ、面白くなければここまで止まらずに読めていなかった。(何回もお腹を抱えて笑った)
著者 田中泰延氏
既にご存知の方も多いかもしれないが、田中泰延氏は早稲田大学第二文学部卒業後、電通に就職し、24年間コピーライターとして働いていた、我々凡人からすれば言葉を扱うことに関してのスペシャリストだ。
そんな彼は、24年間働いた電通を退職し、現在はフリーでライターの仕事をメインで活動している。
そこまでの理由や経緯については本書でも語られているので、気になる人は購入して読んでみてほしい。
退職するまでの間には様々な会社からの依頼で記事を執筆しており、その中でバズった記事の中には映画評の記事も多くある。
例えば、この記事もそうである。
「ラ・ラ・ランド特別編【連載】田中泰延のエンタメ新党」
https://www.machikado-creative.jp/planning/65000/
最高にふざけている。
このような記事を書き、バズらせている田中泰延氏が、「読みたいことを書けばいい」と言っているのは、ある意味凄い説得力だ。
そんな読みたいことを書いている代表の田中泰延氏が、体を張って、読みたいことを書けと言ってくれているのがこの本である。
ターゲットなど想定しなくていい
無数の文章術の本に書かれているのが、「読む人はだれかをはっきりさせて書きなさい」というやつである。
これは、ブログ運営においてもよく見かける言葉だ。
実際、僕も毎回どんな人に読んでもらおうかなと考えている。
が、アメリカ人から心にもないコメントが来るくらいである。
「インスタ映えする写真」のような「ブログ映えする文章」みたいな指南もある。なんとかバエなんとかバエとか、おまえはショウジョウバエかと言いたい。
これは、正直よく意味がわからない。
そもそも特定のだれかに言いたいことが「届く」ということが、そんなにあるだろうか。
中略
莫大な宣伝費を使うそれら(コピーライティング)も、結局、テレビや新聞など不特定多数が目にするところに「置かれる」のであり、「届けられる」のではない。
届けたい人にしっかりと届けられている人にとっては、あまり気にする必要のない事かもしれないが、我々の記事も誰かに届けられるものではなく、検索エンジンの検索結果に「置かれる」ものであろう。
読み手など想定して書かなくていい。
その文章を最初に読むのは間違いなく自分だ。
自分で読んでおもしろくなければ、書くこと自体が無駄になる。
自分が読んでいて面白いと思えるものを書けば、誰かにこの面白さが伝わって各所へ波及していくのではないかと言ってくれている。
駆け出しブロガーの僕にとって凄く心が楽になる話だった。
このくだりの部分では結論「自分にとって面白いことを書けばいいんだよ」ということを伝えてくれているのだが、伝えるまでの過程が独特すぎて感動する。
この本はそんな話ばかりである。
でも、言っていることは共感性が高く、妙に納得させられるのが凄い。
何を書いたかよりも誰が書いたか
さて、あなたは腰の痛みと眠気に耐えながら1万字の原稿を書いた。
自分が興味を持った事象について、自分が抱いた心象を、自分が読んでおもしろいように書ききった。
さあ、だれが読んでくれるか。
これは、まさにいまの僕である。
この記事は、1日もかからず読み切ることのできたすごく面白かったと思う本について、どこがおもしろかったか、どんな本なのか、を自分の書きたいように書いている。
この本を面白いと思っている同志が読んでくれるだろうか。
この本の購入を検討している人が読んでくれるだろうか。
だれも読まない。
だれも読まない。
そういうことである。
なぜか。
あなたは宇多田ヒカルではないからである。
この本が少しでも気になったブロガーはぜひ購入して読んで欲しい。
きっと読み始めると止まらなくなると思う。
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